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水晶公ごっこ

そより

 甘い酒の香りを残して、月が沈んで日が昇る頃。

 窓の外から微かに雨の跳ねる音がする。まだ涼しいからと薄手のブランケットを奪い合って、二人で潜り込んでは、ぷはっと息を吹き返す。頬に髪が擦れてくすぐったい。

 雨が降っても、港町の朝は来る。やがて市場に人が溢れかえり、街は賑わい始めるだろう。それこそ、宿に誰がいようが誰がナニをしていようが、誰も咎めようもない。喧嘩沙汰も男女の触れ合いも日常茶飯事、ある程度までなら見逃されている自由の街だ。

 この街は眠ることを知らない。眠らなければ明日は来ないなんて戯言を笑い飛ばしてくれたマスターからは、宿を好きに使っていいと仰せつかっている。

 だから、本日の元英雄は暁の新人と悪だくみをした。冒険を終えた英雄たちの束の間の休息に、互いの愉しみのために、極めて稚拙なおままごとを。

 

 それは、最近始めたごっこ遊びだった。

「おはよう。おや、今から眠るところだろうか」

 私達は寝惚けている。夢を見ようとしている。酒は抜けきっておらず、まだ朝日を見たくないと縋っている。だからカーテンを閉めて、灯りを消して、温い空気を溜め込んだまま互いの指に触れる。英雄と共にベッドに転がっている青年は、いつの間にか赤い生地のローブを羽織っていた。ご丁寧に、カウルのように頭がすっぽりと収まるフードまでついているせいで、表情は口元からしか窺い知れない。

 ここより遥か遠く、次元をも超えた先に在る水晶の街で、私達は『一瞬』と『永遠』を願った。仲間たちの帰還を願う気持ちは決して嘘ではないのに、あの街の長と少しでも共に居たくて冷たい水晶の腕を手離せずにいた夜もあった。その度に自責の念に駆られ、罰を求めるように終わりを望んだ。限りがあると思えば思うほど、世界の英雄と街の長だなんて肩書が仰々しくなり、ありふれた逢瀬にも熱が上がってしまう。何度も何度も、時間の許す限りは同じ場所で時を過ごした。仲間の無事を祈る一方で『このまま時が止まってしまえばいいのに』などと月並みな文句を浮かべて、子どものように駄々をこねて、水晶公のローブを掴んでいたのだ。

 ──まだ眠りたくない、と。

 

「ふふ、それならばあなたが寝付くまで側に居よう」

 ところが、ひとつの世界も星も救った英雄の、恋の物語だって一旦終わりを迎えてしまった。あっけなく想い人の魂は世界を飛び越えて、若い身体を手に入れた暁の新人と結ばれてしまったのだ。例えば終末などという切羽詰まった状況でもない限りは、すんなり二人は会えてしまうし、男女の肌をぴったりと合わせる遊びだってそれとなくできてしまう。

 だから、以前よりずっといけない心地の少なくなった二人は、余裕を持て余してしまい、結果こういった『ごっこ遊び』をし始めた。

「子守唄は必要か? あなたは働き者だから、たまにはゆっくり休んでもらわなくては」

「……ふふっ」

 赤毛のミコッテの白い指先が頭上に降ってくる。柔らかなタオルを細く折りたたんで、そっと目蓋の上に乗せる。この遊びを始めてから数回目の文句だ。からかうような低い声に耳をくすぐられて、瞳は開いても視界は暗いまま。仕方ないから、指先は柔らかな布地の上から胸元を押して、頬擦りをして額を合わせて、シーツの上でそっと引き寄せてみる。

「こら」

 たどたどしい指先に、青年はくすくすと微笑む。身体の重みが一方へとのしかかり、英雄は小さく呻いた。

 すかさず、柔らかな感触が唇に触れる。ふに、ふに、と数回軽くつけただけのそこが、離れてしまえば一気に熱を帯びる。すぐに熱が全身を駆け巡る。

 目を閉じれば思い浮かぶ人の頬には、人ならざる者の証が走っている。深い傷跡のような水晶の色だ。

 彼の目の前では、冒険者はただの娘でありたかった。

「公」

「……」

「すいしょう、こう」

「ああ」

 こんな戯れをしでかしてしまったのは、酔っぱらったかわいい恋人が口にした一言を性懲りもなく忘れずに居た頑固者が居たせいだ。若者でありながら若者ではなく、老いぼれでありながら大して老いぼれてもいない心の持ち主が、ほんの少し、百数年と少しの年月に比べれば本当にこれっぽっちだけ、小娘の言葉を根に持ってしまったせい。

 だから、寝惚け眼の恋人に少し質の悪い遊びを提供している。自分も自分で、それなりに愉しみながら。

「あなたは何度も話していたな。原初世界に渡り、この身体になったというのに水晶公のような物言いをすることがあると……その瞬間にもし目を瞑っていたならば、本当に水晶公がその場に居るかのようだと。ああ、いや。何も、あなたに意地悪をしたいわけではないんだ。もし、あなたがこういった趣向を望んでいるのなら、叶えて差し上げることもできるのだと、そう言いたかっただけで。それに関して私が何を思うわけでもない。あなたは存外、あの老人を好んでいてくれたということだろう?」

 髪を撫で、頬を滑る指先は柔らかく、熱い。